キャプテンコラムCAPTAIN COLUMN

株式会社キャプテン・ユーの社長が
日常生活で感じたことを綴ります。

日大アメフト問題

連日反則タックルの映像が繰り返し流されていた。どう贔屓目に見ても 故意的な反則タックルである。相手の選手が3週間のケガでよく済んだものである。下手をすれば半身不随の可能性さえあるぐらいの危険タックルだった。 日大の内田監督も当初ここまで騒ぎが大きくなるとは思ってなかっただろう。 20年前ならこんな騒ぎにはなってないと思うが、現在はインターネット時代である。SNSなどで映像が一気に拡散してしまい燎原のごとく拡まってしまった。 この試合の2,3日以内に日大の監督が「私の不適切な指示の為、選手が誤った プレーをしてしまいました。すべて私の責任です。選手に責任はありません。 責任を取って監督を辞任いたします。」と言っていれば、マスコミもこれ以上 突っ込みどころ無く、騒ぎは収束していたと思う。全く危機管理に欠けている。

テレビの映像は残酷である。宮川泰介選手の会見と翌日に監督、コーチの会見が続けて行われたが、どちらが正直に話しているか一目瞭然である。何も守るものはない覚悟を感じた宮川選手、片や監督、コーチにはまだ何かを守ろうとする感じがした。宮川選手へのマスコミの質問も最低であった。監督、コーチへの憎悪の言葉を引き出そうとする質問が相次いだ。観ていて卑しく感じた。 司会者が初めに1社1問と言っているのに、一人で数問レベルの低い質問をしているのが数社あった。その中でアメフト関学OB記者の質問は端的で核心を突いたものだった。翌日の監督、コーチの会見で司会者が怒るのも気持ちは分かるが、問題を起こした日大側の司会者が腹を立てたらアカンでしょう。火に 油を注いでしまった。全てが頓珍漢な行動となってしまっている。日大には 危機管理学科があるらしいが、まったく活かされず最低の危機管理対応である。

このアメフト問題の原因の根幹は「驕り」ではないかと思う。監督→コーチ→ 選手この絶対服従の構造で、監督は絶対権力者であり、選手への思いやりに欠け、駒の一つぐらいにしか思っていなかったかも知れない。大学でも人事を握るNO.2の地位であり、将来の有力な理事長候補なら 驕りが出るのも無理ないか。我々も少しの成功で驕りが出ることがある。その時は必ずしっぺ返しで失敗しているものだ。内田監督と我々の自戒を込めて、1つの俳句と平家物語の冒頭「祇園精舎」の1節で締めたいと思う。

 

実るほど頭を垂れる稲穂かな

・驕れる人も久しからず ただ春の夜のごとし

独り言の好きな男より