キャプテンコラムCAPTAIN COLUMN

株式会社キャプテン・ユーの社長が
日常生活で感じたことを綴ります。

追悼小林 繁

あまりにも突然で早い死であった。細い身体で鞭のようなしなやかなサイドスローからの投球フォームは今も目に焼付いている。本当に残念である。
昭和54年キャンプ地宮崎に正に赴こうとした矢先に球団から呼び戻された。
「阪神に行ってくれ」青天の霹靂通告であった。江川 卓とのトレードである。
江川は超鳴り物新人で確かに凄い投手であった。しかし、小林は当時巨人のエースである。
プロで何の実績もない新人とのトレードはプライドをズタズタにした。それも巨人の姑息な「空白の1日」という野球規約の抜け穴をついての行動だ。日本中が怒った。私が一番怒った。球界の盟主を自負する球団のする事か!かなりの巨人ファンが離れ、読売新聞の購買部数も減少した。当たり前である。目先の利益の為に巨人は、後々たくさんのツケを払うことになる。


阪神に来てからの小林は本当に漢であった。第一声が「請われて来たので同情はしないで欲しい」毅然と言い切った。あの時の小林は本当に格好が良かった。
痛快だったのは、その年22勝で最多勝投手となり、何と憎き巨人に8連勝したことである。恨みごと、愚痴の1つもこぼさずに頑張ったので神様からのご褒美だったのかも知れない。


憎き江川は6月1日に1軍登録され、翌2日に阪神戦に初登板した。
ここで負けたら阪神も情けないと思ったが、先取点は許したが逆転で江川をKOした。
気持ちがす~っとした。しかし、この時に江川は凄い奴やなと感じたのも事実である。


小林 繁にとって、このトレードは悔しいものであったが、しかし振返ってみると、このことがあったお陰で全国区の知名度となり人気者になったと思う。
一方悪役の江川。私はず~っと嫌いであったが、解りやすい解説とユーモアがあり、今ではファンになってしまっている。江川が一番つらい思いを背負ってきたと思う。彼の実力70%しか発揮出来ずにプロ野球人生を終えたと思う。

ある酒造メーカーのCMで二人が共演したが、近年稀にみる秀作CMであった。
小林、江川にとっても心の中にあった重苦しいものが取れたのではないかと思う。小林がいない今となっては、二人が語り合えたことは本当に良かったと思う。江川にとって本当によかったと思う。
心より冥福を祈ります。    合掌

独り言の好きな男より